さて、僕達の泊まっているホテルは、日本でいえば銀座か心斎橋の老舗ホテル、さすがにいい。
途中の交通事情や、街の様子は確かに活気にあふれているが、想像していたより貧しく見える。
かなり高級なベトナム料理のレストランの勘定書が、日本で同じだけ食べた場合の三分の一。
全体に、旅行者価格で、日本の物価の三分の一と見ていい。
とあるベトナム通から聞いた公務員の給料からいうと、三十分の一ぐらいだそうなので
旅行者価格は10倍ぼられていることになる。
日本人は金持ちなのだ、実感ではないが・・・・
だから、東南アジアの旅行は、御大尽でいられるわけだ。
インターネットは、だめだ、ビジネスセンターのPCには日本語がインストールされておらず
部屋で繋がるはずのADSLも、今日のところは繋がらなかった(PCは持参した)。
インターネットカフェはまだ試していない。
写真は、ベトナムではほとんど撮っていない。
経由地である福岡近く、機上からの雲や海を撮った(上の写真)、これはこれで楽しかった。
欠乏感が、活気を呼ぶ・・・・としたら、
今、僕達の泊まっているホテルで、333というベトナム産のビール、冷蔵庫のものを飲むと26000ドン
今日、街のスーパーでそれを買ったら、7000ドンであった、ちなみに、10000ドンが約¥65!
この国の物価は、三分の一と見てイイ、ホテルは外国人観光客の足元を見ている。
とはいっても、我々「フツー」の日本人は、そういうホテルに泊まるしかないし
フツーの高級レストランや、カフェに行かなければ、メニューさえ読めないのである。
ちなみに、今日のランチは、ビールとお茶と、ベトナム風の美味しいフレンチ・アラカルトを1皿ずつ
パンもついて、二人合計約¥1800。
フレンチ風のオシャレなお店で、日本だったら、倍かな?・・・・ケチではないのだけれど「気」になってしまう。
東南アジアを旅行するのは、10何年か前のバリ旅行以来なのだけれど
この街、サイゴンでは、日本人と見られると何度か日本語で話し掛けれる・・・・フリーのガイドだったりする。
もちろん店の前を通れば、声がかかるし、「それ」が彼らの生活を支えているのは理解するけれども
何とかして欲しい。
彼らの誘いを断るのにも、こちらはエネルギーと気を使うのだ。
「それ」があるだけで、東南アジアを旅行することに嫌気がさすような気もする。
いずれにして、今日僕の撮った写真は、1〜2枚
歩いたところはサイゴンの銀座のようなところだけだった。
日本語が使えるPCのあるインターネットカフェも見つけた
もっともその前に日系ツァーオフィスで
ウェブメールを使って、メールチェックは済ませることが出来た。
このホテルはとても気に入っている、着いたときに荷物を運んでくれたドアマンに
ベトナム通から注意されていたチップ、注意されたとおりに間違えて
10倍の紙幣を渡してしまったのは「旅のはじめの通行料」みたいなものだけど。
ま、日本と日本人はクレイジーである。
これからサイゴン=ホー・チ・ミンを旅行しようと思っていらっしゃる方に、有力なグルメ情報をひとつ。
ドン・コイ通りという目抜き通りを川側から、300メートルほど入った左側にある
BONG SENというホテル
そのロビー左奥にあるレストランのブッフェがすごい!美味い!安い!
(ディナーで、¥600弱、ランチは多¥300ぐらい?)
内容?、とにかく種類も多く、揚げ物・フォー・焼き物などは、見ている前で調理してくれるし
何より客層が、中流以上と思しきベトナム人で満員+待ちの行列!
そんなことからも、察しがつこうというものである。
ちなみに、どうしてそこを知ったのか?
空港送迎をしてくれたベトナム人ガイドさんからの情報。
もうひとつ、そのレストランがあるホテル、客の多くがフランス人と思われ
僕の持っているガイドブックには名前の記載さえない・・・日本人の観光客嫌いの僕には結構魅力的だ。
三ツ星というところも、リーズナブルそうで期待できる・・・・
ディナーブッフェのプライスで、現在宿泊中四つ星のMajesticと比べても4割安である。
とはいっても、決してMajesticが嫌いなわけではない、
開高健がベトナム戦争当時、定宿にしていたというココも、快適なホスピタリティで十分に心地よいのだが。
http://www.majesticsaigon.com.vn/facilities.php
三日目、メコン川の川登、水上マーケットなどなど
写真はほぼゼロ、
こういう国を見ていると、日本人であることに、少し後ろめたさを感じてしまう。
つまり、同じような労働をしているのに、日本人は国際価格で約30倍の報酬を得ているわけだ。
なぜ?簡単に言えばマーケッティングの勝利ということだろう。
つまり日本人が作っている物が、世界の要求や欲望に上手くマッチしている、又は
そういう物を作っている・・・・もちろん上手に作っていることは、大きなアドバンテージなのでが。
しかし、日本の野菜や果物は、まるで工業製品のように作られ
それでさえ自給できない状態なのだ。
明日は、やはりメコン川のマングローブの森の川下り・・・・そのあと高級ベトナム料理を食べて、夜旅立つ。
ではまた。
今日12月15日は、僕の誕生日である。
この旅行の日程は、それも考慮したものだった、つまり誕生日のプレゼントというわけだ。
ディナーは、僕のウェブによく出てくるモデルさんのお父さん(前述のベトナム通)から紹介された店、
偶然にも宿泊しているホテルの隣にあった。
Maxim’s Nam An、高級そうな店だった。
そこでの様子は、かのモデルさん宛のメールに打ってある。
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お父様に教えていただいた、高級なベトナムレストランで
ゆかりのおごりで、誕生日のお食事をしていました。
そこには、バイオリンなどの生音楽が入っており
中国人、アメリカ人などで賑わい
映画の中の世界、例えば1930年代の上海?スパイ・ゾルゲ?
音楽の中で、やはり戦前のユダヤ物映画(タイトルは忘れました)を彷彿させるものもあり
いろんな映画のシーンを思い浮かべながらの誕生日ディナーでした。
お父様に、南部からのお礼をお伝えください。
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最期の最期に写真は撮った、ドン・コイ通りのカフェからである。
ピントは目測、ノーファインダーで道行く人々をスナップ、「動機?」なんだろうね。
ベトナム人へのシンパシーかもしれない、わからない。
その出来上がり、僕の写真らしくないかもしれないが
背面のモニターでチョット見た限りでは「楽しい」写真だった。
上手くすれば、この更新で少しお見せできるかもしれない。
ベトナムの街行く人々は、スナップすると笑顔を返してくれた。
ベトナムの人々には敬意をはらおうと思う、
クチのトンネルという戦跡ツァーには参加しなかったが
今日のツアーでは、マングローブのジャングルでのべトコン基地を見た。
僕の記憶にはなかったが
1973年ごろ?、サイゴンの米軍石油貯蔵所を爆破したゲリラの発進基地だったらしい。
8名で決行、2名は発見され自爆、6名生還・・・という説明。
しかし、同時に説明されていた2名がワニに食われたという話とは、数が合わない。
20歳代のよく笑う可愛いガイドさんだったから、まぁよしとするか!
ベトナム人についていえば、アジア各地をよく旅行している我アパートの仙人からは
「セコイ」と聞いていた。
20年前に僕の助手をしてくれたカメラマンからは、「子供達の目が輝いている」と
数年前に聞いていた。
88歳の父の従兄弟は、先日一緒に食べたベトナム料理店で
「彼らは賢いから、これから伸びるよ」と言っていた。
少なくとも30年前、彼らはアメリカに勝っている・・・時代が加勢したとはいえ。
僕はその頃、反体制派を自認する若者の一人だった。
しかし、気分は複雑なのだ、確かに「アメリカのベトナム侵略反対」と唱えてはいたが
気分は、Majestic(のような)ホテルでカーツ殲滅命令を受ける(「地獄の黙示録」の話ね)
アメリカ軍特殊部隊将校になったつもり。
正直言うと、今回の旅行、クラシック系のホテルを特別にリクエストしたのは
そんなイメージがあったのだ
僕にとってのベトナムは敗戦(アメリカ側から見て)色濃い70年代、
アメリカ軍将校が天井から下がる扇風機の下で、けだるそうにベッドから起き上がるシーン。
それは、Majesticようなクラシックホテルでなければいけないし
退廃した、ゴ・ジン・ジェム政権又は資本主義政権下の方が「絵」になる。
風俗としての植民地は「趣味」の問題として
今のサイゴンを見る僕の目は、30年後のバクダットを見ていたのだった。
その時、日本は日本人はどうするのか?
アメリカに勝利した、ベトナム労働党がサイゴン東南部のマングローブの森に
観光客誘致のリゾートを計画し、道路を作っている。
その道路を作っているブルドーザーは、日本の建設会社名の入った中古品だったりする。
この街の市民の主要な交通手段は、彼らが一般名詞として「HONDA」と呼ぶ=バイクだったりする。
さて、雑貨=ZAKKAを買い込んで帰る日本の若い女性達
「その時」日本は日本人はどうするのだろうか?
正直言うと、この旅行に持ってきたEOS1Dsというデジタルカメラは
旅行者がスナップするには、大きすぎた。
カメラというよりは、レンズを含めた大きさが、である。
コンタックスG2という小さめの、フィルムカメラを持って来るべきだったと、少し後悔。
海外・ほとんどの海外ではカメラは物盗りの対象になるのだけれど
そのリスクが軽いカメラを使うというのは、よい「方法」のひとつだろう。
実は、観光二日目
家内が箸を買ったカワイイ娘の居た小さなお店の
隣の広告看板(ありがちな、モデルを使った宝飾品の写真)を見て
やはりモノクロプリントの手法を、再度確立しておきたいと思ったことも告白しておこう。
もう少し正確にいうと、「再度」ではない、
僕のこれまで出来ていない調子のプリントを焼く技術を、「ちゃんと」しておきたいと思ったわけだ。
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