日常、静かで、ゆっくりと流れ、いつも見る光景、
・・・これ、最近(いや、ずっと昔から・・・ずぅっとだ)撮っているモノクロ写真の話。
繰り返し撮っている同じ窓辺、同じ壁・・・・忘れていても、その繰り返しが自分の関心を物語る。
正月早々、4日に撮ったもうひとつの写真(これは習作と呼んだほうがいい)
こちらは、プロとして「いい勉強」をさせてもらっている。
たとえば、どのカットを選ぶのか?そして、どうプリントを作り上げていくか?
(モデルの小林千春、ヘアメイクの谷口ちかを含めての、レタッチ作業は勉強になった)
小林千春らしい写真?
モデル・ヘアメイクとしてのキャリアに役立つ写真?
僕の好きな写真?
年明け早々いろんな感材で写真を撮っていることになる
日常は、ほとんどテクニカルパン、さっきちょっとだけTMYをISO1600で。
2〜3年前から、正確に言うと「2000年のパリ」以降では、1600増感でのスナップは多い・・・これらはすべてモノクロだ。
されに、800〜1600に感度アップしたデジタルカラーのスナップ。
正月四日の小林千春は、ISO100〜200のデジタルカラー、プリントは顔料のインクジェットだ。
写真はプリントにして「何ぼのもの」だと、やはり思う。
もちろん(仕事としての)商業印刷も含めてである。
作家とプロ、よくある対比。
作家は自分が好きなものを作っていればイイ、自分のために作る。
・・・・・・・・・・・・・・プロとしての自分へのアドバイス=自分の得意科目(アドバンテージ)を作ること。
プロは求められるものを作る、他者(たいがいは発注主)の役立つものを作り対価をいただく。
・・・・・・・・・・・・ビジネス上のアドバイス=自分のどこ(アドバンテージ)が、外から見て評価されているのか知ること。
言うまでもなく僕は、「作家」になりたい
上で書いた小林千春の写真プリントで気づいたことがある。
プロとしての写真は、文字を乗せると「映える」・・・・・・・・・・・・・たぶん「隙」がある、または「隙」を作っておく。
作家としての写真に文字を乗せるのは難しい・・・・・・・・・・・・・逆に文字を乗せて「映える」写真は「弱い」のかもしれない。
この数日、2002年からのモノクロベタ焼きをざっと見ていた、日常を撮ったものばかり。
よく撮ってるね、忘れていた写真も面白い。
夏になったら、写真展をしようか?・・・・・・・・・・・・・・場所はここ=スタジオだ、ハウス・エキジビション?
夏の暇な一週間ほどを選んで、スタジオの写真を架けられるところにプリントを置く。
もちろん、臨時の壁も仮設で作るし、スタジオ中の部屋に僕の写真をブックも含めておいておく。
どこかに、お茶出来るスペースを設け、見に来てくれた人達と、いろいろお話をするんだ。
時間の制約もないので、日によっては夜遅くまで延々酒でも酌み交わしながら、写真談義なんてのも楽しいね。
さっき別件で訪れた人たちと、10年ほど前によく撮っていた、赤外モノクロ・パノラマ写真を探していた。
そのながれで、2003年に赤外で撮ったベタとネガを発見、まだ焼いていない。
古い写真を見ていると、僕も結構「写真家だったジャン」と思えてくるから不思議だ。
写真を撮る人と選ぶ人(プリントする人)は、別の人格だと、前に書いたことがある。
もうひとつ対比、撮影者と評価者・・・しかも同一人物=僕!
1.撮影する、
2.ネガ現像する、
3.ベタ焼きからセレクトする、
4.プルーフプリント(とりあえずのプリント)を焼く
5.さらにセレクトする。
先ほどまで4をやっていて、少し凹んだ。
3の工程から、評価者の視線が入ってくる、4の工程をしながら「プリントが楽しい」時はよい。
写真家の中の評価者は、自分にとって「素敵」なプリントかどうか評価できればいい
他者が「感動」するかどうかは「次」の問題だ。
「感動させる作品」を作るのは、プロの仕事である。
自分が「うっとり」できる、徹底的な自己満足にこそ、僕はこだわりたいと思う。
話の前提として・・・・プロの作品は、なんだか「白々しい」と僕は感じている。
自分の場合の「話」なのだが
僕の中の評価者(心)がおせっかいにも「他者の感動」まで推し量ろうとする時があり
そこが僕の悩みになっている。
そう言えば、もうひとつ「キューレーター」という職種もあったね。
さて、結論めいた物言いになるかもしれないが
撮影者としても、評価者としても
世の中の規範とか、価値観とかから自由に「開放される」ことが肝心ではなかろうかと・・・・・次に続く。