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「今週のポラ_70、動機は写る」
「錯覚の海」を漂うことはやめた。

やめたとしても、イリュージョンだったり幻想だったりの迷宮を彷徨う事には違いない。

異論もあろうかと思うが、

荒っぽく言ってしまえば

「人間の見ている現実など、すべて錯覚であったり、イリュージョンであったりする」というのが

「僕の認識である」

一応一枚、錯覚の海のストーリー写真は貼っておこうと思う・・・・ほとんど意味不明ではある。

なぜ、心地よい錯覚の海から上がることにしたか?

写真を撮る上で、多分、一番大切なことに気づいたからかもしれない。

それは動機である、動機は写るのである。

そのためには、

ある程度の撮影技術か、並外れた思い入れが必要かもしれない。

動機の背景は、関心・好奇心であったり、感動であったり、主張であったり・・・・それでよい。

最低の動機のひとつは、「上手い写真」を撮って有名になったり、世に出ようとする動機。

よく職業カメラマンが「作品」と称している「あれ」である。

「あれ」は習作と呼ぶのが正しい。

「お金を得るのため」という動機も、結構バレてしまうので、ヨロシクナイ。

僕のように、写真を撮ることを生業にしているものにとって

お金を得るというのは、常について回る、最も重要な動機ではあるのだが

客の要望にこたえるとか、被写体を綺麗に見せるとか、動機付けすることで

解決できると思っているし

強い動機付けできるような魅力を探り

対象の人物なり、商品なり、企業なりに好奇心を持つことだ。

実際、僕はそうしているつもりだ。

さて、純粋な動機?望ましい動機?、美しい動機?

オーディエンスは、その動機に共感できるか?

少なくとも作家は、それを考えなくてもいい・・・画商なりプロデューサーなりが考えることだ。

強い動機と、動機の背景にある人間の好奇心や感動が「写った写真」が魅力的である。

当たり前のことを書いてしまった・・・・つづく(多分)

来週は旅行に出る、ベトナムへである・・・・動機?それは食欲かな。
4年前のヨーロッパ旅行では、旅先から毎日メールを打っていた。
たぶん「旅の覚醒」がそうさせたのだろう。
来週の小旅行に、大した動機はないが、「旅の覚醒」は楽しみである。