Sunday, September 11, 2005更新

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ホッチポッチ@fan
・・・以下の文章はすべて当時の日記帳からの抜粋・・・

72/9/22
「日常生活の演技者達」
新宿の西口地下広場を急ぎ足で通り過ぎようとする人達
彼らは夕陽のスポットライトを浴びた時
通過者ではなく
通り過ぎることを演技している者に変わってしまうのだ。

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10/4
もしボクが朝起きて、少し気分がいいというので
アルバイトに行く時間なのに
古い写真の整理をしたり
コーヒーを沸かしたみたり
ついでに散歩に出てしまったとしたら、君はどう思う?
8時48分、いつもなら新宿発の小田急に乗る時間に
まだ お湯が沸かないなぁと
タバコを吸っているボクをどう思う?
バイト先の信頼を裏切って
遅刻かそれとも休んでしまおうか迷いながら、
本当はそんなに悪いと思っていないボクをどう思う?
こんな朝、本来の自分を取り戻したようにホッとするんだ。
遅れて入ったアルバイト先で
常識的な嘘を考えて
いつもよりも熱心に仕事をしようとするボクが嫌いだ。
かなり言い訳めいているのは解る。
結局、バイトには遅れていくだろうし
今日は休んだとしても明日は行くだろう。
ラジオからは、ボクの好きな歌が流れているんだし・・・

10/10
好味屋(註:小田急線経堂駅前にあるパンとケーキの店)を
辞めてしまった。
少しの後悔としょうがないという気持
今になればみんないい人ばかりだった。
しかし好味屋までの電車の中
ちっちゃな自由に充ちていたボク。
今野さんが、店に入ったとたん
「辞めるの?」と言ったのは驚いた。
今晩0:05上野発の列車で軽井沢へ
その前に赤キャベツとパセリとP缶のモノクロ写真を
撮ることだけが、今のボクの予定。

72/10/18
「どうして こんなに寂しいんだろう」
・・・一連の写真のタイトル
新宿へ、少し撮り足しに行く途中思いついた。
するとなんだか、少し気分が晴れ晴れとして
新宿へ出ても、まるで続きが撮れないんだ。
寂しいはずの高野の前も、ゴキブリ横町も・・・
そうやって散歩している内に僕は開放された
解脱のようなモノを感じた
そして「どうして こんなに寂しいんだろう」は完結したんだ。
ちょうど新宿で買った大江健三郎の
「みずから我が涙をぬぐいたまう日」にこんなことが書いてあった
・・・・・・・・・・・・・・・・
作家がひとつの作品を出版すれば、言葉による彼自身の外化という意識=肉体の一つながりの行為は
形式の上でも一応完結する。
作家が彼の既に出版した本に
四六時中とりつかれているというようなことは
ごく例外的であろう
・・・・・・・・・・・・・
撮影者としての「どうして こんなに寂しいんだろう」は完結した。
後は編集者として「どうして こんなに寂しいんだろう」は仕事だ。

72/10/22
この1週間ほど
ボクはあたかも自分がフリーランスのカメラマンで
1st.Album とつぎのこの写真群によって
20歳にも満たないまったく若い俊才として
写真界に静かな衝撃を与えるというような
かなり「度」の強い妄想の虜になっている。
たとえばその賛辞には「ロバート・フランクのような・・・」
というようなモノがあったり
有りとある雑誌が
「カメラ毎日」に掲載されたボクの一連の写真に批評を与える
その大きすぎる期待にボクは応えようと
今、瞑想の日々を送っているというモノ(妄想)だ。
しかし本当のところは
単に働いていないというただそれだけ、
過大な自信が、在りし日の偉大な作家と二重写しになったとしても
意味なんかない。

10/25
午前中の憂鬱症は新宿へ出て
「ヴァンケル」のコーヒーで勇気をつけることで
むしろ闘志に変わった。
それは、あのマネキンの飾り付けを
まるで盗むように撮ったことからでもある。
『青蛾』というすごい店を見つけた。
古い日本家屋は、欧州風でもあり、
柱時計が時を刻む音が
頭上の1秒のリズムと、少し離れた1/2秒のリズムの混交なんだ。
2階へ上がり降りする階段を歩く女性の脚が
燻された黒のなかで白く浮かびsexyなんだ。
ちょうど、映画『無常』で感じた白い脚のように・・・
何より気に入ったのが、玉露や煎茶がおいてあることだった
とにかくまた行くし、ボクの秘密の場所だ。
あそこで写真を撮るにはローライがいい、ASA400・F2で1/8sec.

写真とは現実の影でありながら
心の記憶を引っ張り出す符号としての役割を
持っているのではないだろうか?
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